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ローカル線の旅 「ひたちなか海浜鉄道」#1 ~那珂湊ぶらり街並めぐり その1~
開業2周年

 ひたちなか海浜鉄道は2010年4月に開業2周年をむかえた。4月最後の日曜日 4月25日に沿線では様々なイベントが催されていた。
 その中のひとつ那珂湊駅では、ひたちなか市観光ボランティアの案内で「那珂湊ぶらり街並みめぐり」があった。那珂湊はおさかな市場で有名な漁港がある事くらいしか僕は知らない。まだ見ぬ街中をふらり旅する僕にはうってつけのイベントではないか。さっそく駅で受付をして参加させていただくことにした。

山上門
(山上門)

 駅前の通りを右折して最初に向かったのは、ひたちなか市指定文化財「山上門」である。この門は水戸藩の武家屋敷として唯一現存する建造物である。
観光ボランティアの方の説明
(観光ボランティアの鴨志田さん)

 ガイドの方の話では、この門にある黒いお椀型の鋲(びょう)のようなもの(例えるなら大きいリベット)は、戸の取ってを据え付ける際に反対側に飛び出た部分を隠すための飾りなのだとか。なるほど、僕は今まで知らなかった。
反射炉とレンガ焼成窯
(反射炉とレンガ焼成窯)

 山上門を通り抜けて階段を登った先に茨城県指定史跡の「反射炉」なるものがあった。反射炉とは聞きなれぬ言葉であるが、ガイドさんから頂いた資料によれば、幕末に大砲鋳造の目的で造られた鋳鉄や青銅を溶かすための溶鉱炉のことなのだそうだ。
 この反射炉は水戸藩第9代藩主「徳川斉昭」により当時の先端技術を用いて建設された。とくに炉の中で高熱に耐えうる耐火煉瓦の製造には苦心されたらしく、炉の傍らには復元された煉瓦焼成窯がある。
反射炉の耐火煉瓦
(反射炉の耐火煉瓦)

 煉瓦の材料となる粘土は近くを流れる那珂川を使って船で運ばれてきたという。大砲の製作には大量の水も使われることもあって、河口の高台で交通の要所でもあるこの地が選ばれたのであろう。2基の反射炉に使用された耐火煉瓦はなんと4万枚にものぼり、いかにこの反射炉の製作が大がかりなものであったのかがうかがえる。
大砲のレプリカと溶鉱炉出口
(大砲のレプリカと溶鉱炉出口)

 右側の写真の赤い扉の辺りにある穴から溶けた鉄が出てきて、下にある穴の中を伝って地中にある鋳型に注がれ大砲が出来る。そして左側の写真が完成されたイメージの大砲で、とても当時の技術で製作されたとは思えない大きさの鉄の塊である。
 炉の作製にあたって鋳造や耐火煉瓦の焼成に用いられた技術は今の日本の礎となる部分もあるのかと思うと、ただの戦争好きなイメージしかなかった徳川斉昭を少し見直した。でもいつの世でも軍事が先端技術の元になっているのだが・・・。その功と罪はここでは触れないでおこう。
 なにはともあれこの那珂湊周辺は水戸藩に深い関わりのある町である事が今回の旅でわかった。(つづく)


(すべての写真 2010年4月25日撮影)

ひたちなか海浜鉄道 | 2010/05/09(日) 22:02 | Trackback:(0) | Comments:(1)
貴重な史跡が、天狗党の乱とか大火で焼けてしまって。
レプリカで往時をしのんでいただければ。
(吉田)
2010/05/10 月 09:33:41 | URL | ひたちなか海浜鉄道 #tJ8bLkYs編集
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