
(車窓右奥に見える森吉山と手前を流れる小又川)
数えるほどの乗客しかいな列車だが、
秋田美人のアテンダントさんは丁寧に観光案内のアナウンスを続けてくれる。
そのアテンダントさんの案内どおり秋田内陸線は山間部に入ると森吉山が見え隠れする。
ランドマークとも言えるこの山を内陸線はぐるりと約半周するのだが、
森吉山周辺には様々な動植物が生息し豊かな自然が溢れるエリアなのだ。
列車の窓を開けて風を受けてみると、心成しか空気がおいしく感じられる。
途中いくつかの駅で乗客が乗り降りしたものの相変わらず車内は数人程度。
観光客の多い急行と違って普通列車の乗車率は厳しい現実があるみたいだ。
そして間もなく終点のひとつ前、西鷹巣駅に到着した。
幼い赤子を抱いたお母さんが乗車口に立っていたが乗車する様子がない。
変だなと思っていたら運転士が戸口まで駆け寄って行き水筒を受け取っている。
おそらくそのお母さんは奥様で今日は暑いのでご自宅から水筒を持って手渡しに来たのであろう。
ローカル線ならではの微笑ましい光景であった。
やがて列車は終点の鷹巣駅で乗客を降ろすとそのまま阿仁合駅まで折り返し運転になるのだが、
その鷹巣駅では座席が埋まる程のたくさんの乗客がこの列車を待ち受けていた。
下車した僕は列車が出発するのをしばし見送る。
そして誰もいないホームに残るこの僕を
改札口にある風鈴が涼しげな音を鳴らして迎えてくれた。

(鷹巣駅の風鈴)
(秋田内陸縦貫鉄道 阿仁前田~前田南間 2011年7月10日撮影)
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(桂瀬~阿仁前田間)
秋田内陸縦貫鉄道では社長を始め運転士・整備士・アテンダントなど
内陸線に関わる人達によって日々綴られる「トコトコ鉄道日記」というブログがある。
始発の阿仁合駅で発車待ちのときの事、
発車まではまだ時間があるのでもしや運転士のSさんではと思い聞いてみた。
笑顔で返答してくださった運転士さんはSさんではなかったけれど、
出発準備するまでのしばしの時間、色々なことを話してくださった。
運転士のSさんはこの運転士より年下だそうで、非常に真面目で熱心な人だと言う。
また震災以来、外国人の団体客がめっきり見えなくなってしまい、
この内陸線にも少なからず影響があるそうだ。
確かにここまで乗ってきた「急行もりよし号」には日本人以外見当たらなかった。
ただ車内は満席で賑わっていたので少しづつだが観光客は戻ってきているようだ。
そうこうするうちに列車の出発時刻になり、子連れの母子と鉄道ファンらしい2人組、
そして秋田美人のアテンダントとこの僕を乗せて鷹巣行きの普通列車は出発する。
(秋田内陸縦貫鉄道 14D普通列車内から 2011年7月10日撮影)

秋田県北秋田市阿仁地区にある阿仁鉱山。300年余り昔には産銅日本一を誇った。
そして1879年に来日したドイツ人技師の官舎として建てられたのがこの異人館である。
国の重要文化財にも指定されているルネッサンス風ゴシック建築の洋館は、
鹿鳴館やニコライ堂より早く建築され日本の西洋風建築物の先駆けとなっている。
さらに阿仁地区には数多くの神社仏閣があり、鉱山で栄えた街の名残を今に伝えている。
阿仁合駅にある食堂「こぐま亭」ではこの店の名物「馬肉丼」を食べることができます。
阿仁地区では鉱山労働者のビタミン不足を補うため「なんこ鍋」という郷土料理があり、古くから馬肉を食す習慣があるのです。「馬・鹿・熊」といった食材の料理を目にすると、あぁ秋田まで来たんだな~と思う瞬間です。
へば、まだ次回。
(秋田内陸縦貫鉄道 阿仁合~荒瀬間 2011年7月10日撮影)